不動産デューディリジェンス(DD)業務
不動産デューディリジェンス(DD)は日本の銀行がバブルが弾け、不良債権問題で苦しんでいた平成
中期頃~に盛んに実施されました。
それは、クラシカルな旧来からの伝統的な不動産鑑定評価の手法を応用しながらも
不動産業界のやりかたもミックスした当時としては革新的な仕事でした。
なぜならば、日本の銀行が融資をした日本全国に散らばる不良債権担保不動産の刻々と下落していく
時価を早急に把握し当時の主な投資家であった外資系金融機関へバルクセールを行う必要があったか
らです。
当時は短期賃貸借の濫用など未だ民法上の短期賃借権が廃止される以前の時代で執行妨害が華やかな
時代でもありました。
現地調査にいくと怪しい空気がしたり・・・件外建物が建っていたり・・
まあ色々と・・・
銀行内部資料や地方裁判所の不動産競売3点セット等の大量の資料を短期間の限られた時間に
通読する必要がありました。
バブルの頃には大手銀行員が一人で1ケ月に30億円貸したとか・・・
未だリーマンショックの発生する前の時代、ファンドミニバブルが発生する前の出来事です。
当時は港区にあったリーマンブラザーズ証券を知っている人も限られていました。
ローンシャーク?
あの頃、当時はデューディリ(DD)とよく呼ばれていました。
ビル、マンション、区分事務所、区分店舗、ソシアルビル、パチンコ店(P店)、ゴルフ場
ゴルフ場を目指していて地上げ途中でストップした土地、戸建用地、
リゾートマンション、別荘地、区分建物、戸建、土地、ビジネスホテル、レジャーホテル、リゾート
ホテル、山、林地、農地、事業用不動産、造成途中で開発がストップした土地
本社ビル、アパート、底地、借地権、ホテル分譲、ワンルームマンション、低層高級マンション
ファミリータイプマンション・・・
様々な不動産を短期間に一括して大量評価する必要があった時代です。
不良債権の流動化、不動産流動化ビジネスと言われていましたがそういった時代の途中くらいから
ミニバブルといわれはじめ外資系に代わって国内の新興不動産会社、カタカナ不動産と言われた企業が流動化を基に急成長しました。
そんな時代が少し続いて100年に1回の災害といわれたリーマンショックが業界を襲い
たくさんの新興不動産会社が消滅していきました。
そのような状況の中で生き残った新興不動産会社もありました。
また残念ながらダメになってしまった新興不動産会社にいた人達も箱を変えて活躍している人達もたくさんいます。
全ては諸行無常のようです。
自分も上司や銀行員(バンカー)の人達と全国の現地を新幹線やレンタカーを使って出張、見に行っ
ていたのがつい昨日のように思い出されます。
ロールアップミーティングがあったり・・・と
初老に入りつつある今となってはよい思い出です。
D.Dは従来からの不動産鑑定評価と比べて現実的で応用的、しかもムダがなく、合理的です。
現在では銀行のバブル期の膨大な不良債権問題は日本ではほぼ収束し、聞かれなくなって
久しいですが
当時20代半ば~後半の若者であった自分の貴重な時間を費やして日本全国に散らばる様々な種類の
バルクセールの不動産評価を実施したDD業務から得られた価値ある経験は現在も生きています。
ただし、官公庁及び裁判所に提出するのは不動産鑑定士による不動産鑑定評価書になります。
また現在では当社は不動産の調査報告書の作成を行っております。